青森県議会 2018-03-20 平成30年農林水産委員会 本文 開催日: 2018-03-20
石川啄木の歌に、「ふるさとの山に向ひて 言うことなし ふるさとの山」というのがあるのですけども、木村守男先生が大変親しんでおられた一節でありました。三村知事も「山・川・海をつなぐ水循環システム」、これを大変大事にしている人でもあります。農林水産業の基本は水だと知事もしゃべっていましたので、まず、高い山からいきたいなと思っていました。岩木山。
石川啄木の歌に、「ふるさとの山に向ひて 言うことなし ふるさとの山」というのがあるのですけども、木村守男先生が大変親しんでおられた一節でありました。三村知事も「山・川・海をつなぐ水循環システム」、これを大変大事にしている人でもあります。農林水産業の基本は水だと知事もしゃべっていましたので、まず、高い山からいきたいなと思っていました。岩木山。
かつて木村守男時代、東京ドームあおもり大祭典、三十万の人手で大きな効果があったと聞いております。白神山地二十周年、節目の誘客促進、心に響く、その取り組みに全力を挙げていただきますように局長に重ねて御要望申し上げます。 終わります。
平成十一年、私は、県議に初当選して間もなくでありましたが、当時の木村守男知事に、先輩議員ともども八戸市選出八人の県会議員が二回面談する機会がありました。屋内スケート場の多分最終場面での案件であったと思います。当時は高橋長次郎先生、さらには野沢剛先生も意気盛んで元気でありました。中里信男市長の時代であり、八戸市の三菱製紙の北側に場所が決定しておりました。
平成元年の六月、当時、建設大臣政務次官だった木村守男は、浪岡からの津軽高規格道路の必要性を訴えておりました。以後、県当局の御尽力によって五所川原まで供用開始され、これもまた皆さんの御尽力に感謝しているところであります。そして、この道路は申しますまでもなく、地域社会に大きく――地域社会のために必要な道路であります。
北村正哉知事時代に構想が進み、木村守男知事のときに、シャガールの作品「アレコ」の舞台背景画四幕のうち三幕の購入の話が具体的になり、賛否両論の中で購入が決定され、美術館が完成するまで東京の倉庫で保管されていたと記憶しております。 県立美術館は、この背景画を飾るアレコホールを中心にした建築設計が青木淳氏のもとで構想され、でき上がったものです。三村申吾知事のときに完成、平成十八年七月開館。
前の木村守男知事さんが言っていましたよね、時間があると思うなと何度も言っていましたけれども、それは名言ですよ。そういうことも踏まえた厳しい対処方を要請しておきたいと思います。 終わりに、解体廃棄物について伺います。
弘前市のりんご公園には、木村守男前知事の書による、歌詞が刻まれたリンゴ追分の歌碑もあります。また、美空ひばりさんの命日を、その歌から林檎忌ともいうそうであります。 このように、多くの人に愛され、本県経済を長く支えてきたリンゴ産業が、今、危機に立たされています。
私も青森市民で、私の住んでいる地域からほどないところにあるのがこの青い森セントラルパークですけれども、一連の土地の取得──県、市が広大な面積の土地を保有したわけでありますが、当時のことをいろいろ思い出しながら、ある資料というか、県議会での──平成九年の三月議会、二百九回定例会、当時の県知事であった木村守男知事の──一般質問なんですが、当時の公明党の上村武之助議員がこの土地の取得についての利活用に関して
続いて、新田名部川漕艇場の道筋をつくっていただいたほか、いろいろ下北のために尽くしていただいた木村守男知事でありました。そして三村知事と、三代の知事と県政にかかわってまいりました。 私は、五期、六期になっても初心を忘れず、むつ・下北地域の発展のためにとの一心から、今回を含めると、二十四年間で四十九回の一般質問をさせていただいてまいりました。一年に二回、いろいろとやらせていただきました。
当時の木村守男知事も、現三村知事も、青森県を最終処分地にしないよう、歴代内閣の関係大臣に確約を求めてまいりました。最近では、昨年十一月十六日開催の核燃料サイクル協議会で確約されていますが、ことし一月十四日の内閣改造で官房長官等が入れかわりました。改めて確認が必要という認識なのか否かについて、まず伺います。
そうしたら、トップですから、トップの上はだれもいないわけですから、当然、知事がみずからの責任の中で県民に対して、納得がいけると思った上での数字なり、責任のとり方をしたと思いますが、そうであれば、この十分の五、十二カ月という、過去に木村守男前知事が旅費や食糧費に三十三億ですか、これについては、それなりに県民が納得する責任のとり方をしました。
最近、新聞では竹内俊吉の時代のころを思い出して報道された方もあったようですけども、私も、竹内俊吉、北村正哉、そして木村守男という知事にいろいろと御指導いただいてきているわけですが、30年たってから何だかんだしゃべれるよりも、きょうしゃべりたいことがあったらしゃべった方がいいのかなと、こう思ってもいるわけであります。
仕掛けたのは当時の木村守男青森県知事で、現総務大臣の増田寛也岩手県知事と寺田秋田県知事に呼びかけてのものでした。 前段でも触れたように、2002年に北東北広域政策研究会が設置されましたが、当時と比べ各県の知事もかわり、北東北3県、あるいは東北六県において道州制に対する温度差がある中で、知事はこれまでどおり道州制を積極的に進めていく考えなのか、知事のお考えをお聞かせ願います。
そして、今木村守男前知事は元気で、御健在でございますので、木村守男前知事に、ぜひともこれが本物かどうかということを確認するような、そういう行動を起こされるのか、2点についてお聞かせいただきたいと思います。
私の記憶であれば、当時の五年前、十二月一日、新八戸駅開業の当時の知事は木村守男知事、八戸は中村市長だと思っているのです。これは神聖な議場で、その速記録が、これは残るわけですから、その点をいかに扱うかお願いしたいと思います。
78 ◯今委員 私はなぜこれを言ったかというと、昔、木村守男前知事が核燃施設を武器に船をとめたことがあります。それだけの気概を持って、もしも貨物線路の使用料の見直しが図れない、値上げが上がらないということであれば、線路使用をストップするくらいの気概を持っていただきたいという意味で今質問をさせていただいたわけあります。
しかし、一選目は破れ、二選目は田名部匡省現民主党青森県代表を中心として、松尾官平参議院副議長、木村守男前知事、木村太郎代議士、山崎力参議院議員などと協力し、見事衆議院議員に当選されました。それは、本県も東北で標準的な県として、県民の良識的な審判をいただいたわけであります。しかし、そのうち何人かが県民の期待と約束を裏切って自民党に入党し、今の格差政治の実質的後押しをしております。
ただ、木村守男前知事のように、やはり景観上から見ても、ああいうふうにやるというのはすばらしい発想だし、大したいいことをやったなと思って、それを呼び水にしてでも、やはりやるべきだと。そういう意味において、私は今、五所川原市が立倭武多の館のあの周辺を、出すに地中化をしなければならない。
私は、平成三年四月に、県議会の議席をいただいてから十六年、北村正哉知事、木村守男知事から八戸に対する県立施設の整備推進について、口約束ではありますが、約束を取り交わした経緯がございます。
しかし、一戦目は敗れ、二戦目、田名部匡省現民主党青森県代表を中心として、松尾官平参議院副議長、木村守男知事、木村太郎代議士、山崎参議院議員等と協力し、見事衆議院議員に当選されました。それは本県も東北での標準的な県として、県民の良識的な審判をいただいたわけであります。しかし、そのうち何人かは、県民の期待と約束を裏切って自民党に入党して、今の格差政治の実質的後押しをしています。 そこで伺います。